かんとくのこべや【第17話】
2021年9月16日
・・・2ケ月以上あいてしまいました。
定期購読を頂いている(無料)皆様は、今か今かと待って頂いていたかもしれません。
大変お待たせを致しました!
早速ですが、今年のLJJは夏休み中もフル稼働。
そして久しぶりに行うことが出来た、宿泊を伴った活動での気づきについて、今回は触れてみたいと思います。
『見守るとは何か』
まず初めに、私にとっての見守るとは、子どもの自立を促し、自己肯定感を高める最良の方法の一つだと考えます。
文字通りに想像を頂いていいのですが、実は見守ることは想像以上に難しく、特に見守る側には状況把握、対象側の性格や行動予想力、そして忍耐力と覚悟が必要になってくるのです。
そんな大事ではないだろうと言われそうですが、正確にはこれがなかなか出来ません。
子どもの為に・・・
散らかっていると危ないから片付けておこう。
寝る前の学校に行く準備で、筆箱をカバンに入れ忘れているから入れといてあげよう。
カレーを作りたいと言ってたから、いつもの我が家の材料を揃えて置いておこう。
こんなシーンはよくあると思います。でもこれ、本当に子どもを見守っているのでしょうか?
私にはそう思えません。なぜなら、大人の手が加わっている事だけではなく、その時点で行動が完結していない、つまり、子どもが行った事に対しての本当の結果や体験を得る事が出来ていないからです。
もしかすると片付けようと思った5分後に、少し躓いてこの状況が危ないと身を持って知り、片づけるかもしれません。
もしかするとその筆箱は、朝起きた時にしなければいけない宿題を、絶対忘れないように置いたものかもしれません。
もしかするとその作りたいカレーは、いつもの我が家のカレーではなく友達に聞いたタイカレーかもしれません。
日常の生活で、大人はついつい先回りをしてしまう事があったり、物事の途中で手助けをしてしまうことがあります。もちろん、法律に関わる事や身体に関わる重大な事、家族や周囲に対して重大な損失を与えてしまうような事に関しては、積極的に行動管理を行うのは大人の役割の一つです。
しかしそれ以外の事に関しては、子どもというよりも大人がそうしたいという気持ちが働く場合があるのです。
合宿の話を少しさせて下さい。
食事は基本自炊。子ども達には作る食数と予算だけを伝えて一緒に買い物に行きました。買い物の時間はかかるは、材料の仕入れ数もはちゃめちゃ。いざ作るにしても、段取りも悪いし、キッチンは汚れるし、出来たものも食べる頃には冷めていたり。
でも、自分達で初めから最後までやり通して口にしたものを食べた時の喜びは、自信にも満ち溢れていました。
もちろん、その後は自分達で食器洗いも。
「お母さん、毎日こんな面倒くさいことやってんだ・・・。」
一から十まで全部やって初めて気付けるのです。
合宿中に本当に起こった事。
時間の管理を子ども達に全て任せる。いつもは両親に助けてもらっていてばかり、だから自分でやるのは不安で遅れたくないから、とにかく早起きに。そうやって、何をどう準備していくか気づくでしょう。
お昼の弁当を忘れた子もいました。気づいた年上の子が自分も物を半分その子にあげる。そうやって、忘れた子も何か申し訳ない気持ちや、何かをしてもらう有難さを知ることになったでしょう。
友達へのお土産のマグカップを割った子。とても残念で悔しく情けない気持ちになったと思います。でも、割れ物はどういう風に扱うか、注意しなければいけないかということも、そのマグカップが教えてくれたでしょう。
どれも、私が事前に声をかけて注意喚起と確認行い、指示をすればスムーズに楽しい事だけ得る事が出来たはずです。でもそれが本当にその子にとっての大人になる、生きる為の経験や自力となるのがどちらかなのは明白だと思います。
【見守る】
1,間違いや事故がないようにと、気をつけて見る。
2,じっと見つめる。注意深く見る。
(広辞苑より)
そうです、見守るには手を貸すであったり、言葉をかけて助けるといった意味を実は含んでいないのです。
子どもの周りに大人がいる環境は、私たちが思う以上に自分だけで行った行動の結果を知る事無く、大人によって導かれた結果を得ていることが本当に多いのです。
子どもの行動を安全に、文字通り見守る事は、日々のご家庭での生活ではなかなか難しいのは重々承知しております。
それでも言えるのは、見守ることで見えてくる子どもの本当の姿に出会い、成長を目の当たりにすることは、それだけで大人にとっても価値のある事だと思います。
どうぞ、LJJに子ども達が関わる事に関しては、のんびりと見守って頂ければと思います。
水野嘉輝
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