かんとくのこべや【第3話】

2020年11月13日

巷では、

 

「こべやを楽しみにしています!」という声とともに、

 

「小言の更新楽しみにしています。」という声も聞くことが出来ました。

 

小言に対しては、慎重かつ丁重に突っ込みを入れさせて頂きました。笑

(ネタ提供をありがとうございます。)

 

さて、今回は少し僕自身のサッカー指導について小言を・・・ではなくお話をさせて頂きます。

 

 

【指導者への道】

単純にプロサッカー選手にはなれない、

 

でもその場に立ってみたいという気持ちが、僕を指導者への道に向かわせました。

 

母校の県立高校でサッカーの指導を始めたのは、そんな思いが固まっていた18歳の時でした。

 

とにかく見よう見まねで、監督の教えを乞いながらピッチに立ち続けたのは、今も記憶に鮮明に残っています。

 

きっと今の自分がその当時の僕の姿を見ると、

 

ただの先輩プレイヤーが自分の知識やサッカー観を正義のヒーローに仕立てあげ、

 

一方的に伝えているといった所かと思います。

 

今なら真っ先に、僕による指導対象者です。笑

 

とはいえ一生懸命であったのは紛れもなく、駆け出しあるあるが漏れなくついた指導だったと思います。

 

 

ただ、上の学年で指導をスタート出来た事は、僕の場合はかなりプラスに働きました。

 

そこは最後に繋がる話となるので、ここでは控えます。

 

素晴らしい監督の下、技術や戦術的な部分はもちろんのこと、

 

それ以上に指導者としての心構え、考え方、やるべき事など多くの部分を学びました。

 

結果的に、大学に入ってから約5年間、みっちり(どっぷり)とサッカーの指導に関わり、

 

恩師でもある監督が転勤した後もサッカー専門の先生がいらっしゃるまで、

 

現場指導や試合での指揮を全面に任せて頂きました。

 

プロの世界でよく見かける、監督が解任になった後の繋ぎとしてヘッドコーチが指揮を執る姿。

 

正にそんな経験でした。

 

そしてその時に培ったものが今も僕の指導の原点である事は疑う余地もありません。

 

 

余談ですがサッカーのご縁を追加で。

 

私の恩師のお父様も高校でサッカー指導をされていらっしゃったのですが、

 

その先生の教え子に当たる方が、現LJJの保護者様にいらっしゃいます。

 

こんな縁ってあるんですね、がサッカー界の日常です。

 

 

 

 

【地元を離れて】

僕の地元は高校野球の聖地甲子園。

 

その甲子園球場に最も近い産婦人科で生まれた、自称永遠のサッカー小僧です。笑

 

突然すぎるきっかけもありながら、宮崎県の綾町で中学生のサッカー指導を行う機会を頂きました。

 

イタリア留学から帰国し(この話はまた別の機会に)、一年経とうかという25歳の時でした。

 

僕に課された目標は、町の中学生のサッカーのレベルを上げること。

 

初めて指導でピッチに立った時に感じた事は、思いの外レベルが高く、技術も身体能力も申し分ないということ。

 

でも、肝心の大会の結果は芳しくない。

 

この大きなギャップが生まれる問題点は、すぐに見つけることが出来ました。

 

一方の、子ども達からは・・・

 

 

 

「誰この人」

 

 

 

っていう視線のビームが刺さりまくりました。

 

素直ですよね。

 

興味がないのかなと思ってましたが、実はそうではなかったのです。

 

本当は、どう接していいか分からなかったようです。(後日談)

 

率直に言って、田舎と呼ばれる所で生まれ育った子達。

 

公共交通機関も都会に様に整備されたものではなく、周りの生活環境や人の変化も乏しい。

 

そのような場所なので、外のヒトやモノ、文化に触れたりする機会は都会程多いわけがなく、

 

どうしてもそれらと共に思考も固まり、結果そこでの固定概念や考え方が生まれ、幅を利かせます。

 

それがこのチームの問題でした。

 

 

今まで天然で行ってきた質の高いプレーの数々。

 

固まり切った人間関係の世界で、正当な評価を得たり、自分の発表の場を持つことも難しいという現実。

 

そこに抗うように、何も情報を持たない僕だからこそ出来た事。

 

今までとは違うサッカーや考え方、大人と子ども、コーチと選手といったような人の関わり方を見せて教える。

 

するとどうでしょう。

 

それはもちろん化学反応が起こります。

 

接する時間が短く、上手く受け入れることが難しかった上級生には少ししんどかったかも知れません。

 

が、逆に下級生。

 

地区予選敗退のチームが、一年後には県下の4強に。

 

その年の中学校サッカー部全国大会に宮崎県代表として戦い、見事全国優勝を成し遂げた日章学園中を、

 

実はその地区予選で破っていた事実もあります。

(県予選では残念ながら決勝に進めず、当たることがありませんでした。)

 

日の目をなかなか浴びず、県下でもやんちゃくれと言われてた選手が、

 

当時別の中学にいたアンダーカテゴリー日本代表の選手に何もさせず、紛れもなく県No1の選手に。

(高校では九州No1のストライカーに変貌。)

 

そんなことが起こるんです。

 

あの時の綾の子にとって新鮮だった、僕のプレー、僕の指導、僕の関西弁。

 

全てを吸収しようとしてくれたと思います。

 

当時のキャプテンだった前述の選手は、その後ドイツでセミプロまでいき、

 

今は地元のJ.FC MIYAZAKIのJFL昇格に向けて頑張っています。

(残念ながら、今年は先日の全国大会第一ステージで敗退してしまったので、今年の昇格はお預けでした。)

 

 

 

大変、前置きが(いつも通り・・・)長くなりました。

 

どうしても指導の事、関わった子の事を思い出すと熱くなってしまいますので、ご了承下さい。

 

そうそう、僕がこの子達への指導から何を学んだのか。

 

それは、子ども達に新しい刺激や経験の場を与えてあげる事で、子ども自身が大きく伸びるきっかけを掴む事です。

 

 

「固定観念や一方向の刺激は、慣れを生み、現状を変えることに憶病になり、結果成長を阻害する。」

 

 

当初は多少無理やりな刺激であっただろうことは認めます。

 

僕自身が外の世界、自分の生まれ育った場所外で生活し、指導をしたからこそ気づけた

 

子ども達の指導や成長にとって大切な大きなポイント。

 

それを僕は知っているので、LJJにコーチングを学びに来た人や、見学に来た人には、積極的に子ども達に指導をしてもらっています。

 

それは子ども達が、

 

僕の指導で凝り固まったり、慣れてしまわないように。

 

それは子ども達が、

 

新しい刺激を得て、違う方法や方向からもたくさんのことを学べるように。

 

それを繰り返すことで子ども達は、

 

コーチに教わっているという受け身の姿勢や感覚から、

 

このコーチから自分が何か学び取り、自分に活かすのか、

 

という自発的な思考と行動に変わります。

 

嬉しいことに、LJJにはこの姿勢が深く広く根を伸ばしています。

 

ここから、今いるLJJの子ども達が様々な面でますます伸びていくことを、ここに断言させて頂きます。

 

 

 

 

【強豪クラブでの指導】

 

からの話は、次回のこべやに持ち越します。

 

実はコーチ達も、LJJの会員様限定で記事を配信しています。

 

なかなかの内容且つ決定事項の週一配信というのが、

 

逆にちょっとしたプレッシャーです・・・。笑

 

また次回のこご・・・こべやをお楽しみ下さい!!

 

 

水野嘉輝

 

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